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帝王韻記

高麗末期の李承休による『帝王韻記』には、桓雄の孫娘が薬を飲んで人間になって、檀樹神と婚姻して檀君が生まれたという。檀君は1028年後に隠退した。

『桓檀古記』はそれぞれ内容の異なる文書の集まりである。そのうち主な檀君朝鮮関連を挙げる。

「三聖記」上編:桓雄までは『三国遺事』とほぼ同じ。桓雄の子ではない神人王倹が檀の木の岡に降り阿斯達を都とし朝鮮と号した。檀君王倹である。妻は河伯の娘。朝鮮から大扶餘と号した。47代2096年まで続いた。
「三聖記」下編:桓雄は桓因ではなく安巴堅の庶子。桓雄の息子の檀君王倹は有帳という名で別伝では倍達王倹といった。その子は居佛理のち18代居佛まで続いた。
「檀君世紀」:桓因の子檀君王倹の子孫47代世古列加までの史書
「太白逸史」の「三韓管境本紀」:桓雄の子ではない神人王倹が国を三韓に分け辰韓を治めた。桓雄は阿斯達を国とし朝鮮と号した。神人王倹は馬韓を熊伯多、番韓を蚩尤男(蚩尤の末裔という)に治めさせた。
上古、朝鮮半島から満州・モンゴル・中国北部に至る広大な版図を誇った帝国「檀君朝鮮」があったと伝える17世紀に著された偽書。1972年に韓国国立中央図書館古書審議議員の李家源、孫寶基、任昌淳3人が珍本であることを確認する認証書を公表した。

平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出であり、元来は地名である。12世紀に成立した高麗の正史『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には人名として王倹という語が出てくるが、平壌にかつて住んでいた仙人の名前としてであって、檀君という王がいたことは全く書かれていない。

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檀君朝鮮は朝鮮民族と朝鮮国家の祖として、民族意識と愛国心向上のため、南北ともに教育に取り入れている。とりわけ朝鮮民主主義人民共和国では「朝鮮」の祖ということで熱心に教育し、実在の人物である可能性がほとんどないにもかかわらず、1993年に檀君の墓を発見したと公言(実は高句麗時代の古墳)し、その地に「檀君陵」なるコンクリート製の建造物を建設した。大韓民国の国定教科書でも「檀君の古朝鮮建国は、我が国の歴史が古いことを表している」などと書かれており、はっきりと「史実」という言葉をもちいて教えている。また徴兵制度で入隊した若者に対して行われる軍の愛国教育の中で、東アジアの広範囲を征服したという伝説を大きく取り上げている。また、『三国遺事』や『東國通鑑』(1485年)にある記述から計算して檀君の即位した年を紀元前2333年とし、これを元年とする檀君紀元(檀紀)を定め、1961年まで公的に西暦と併用していた。一部では現在も使用されている。


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2009年04月30日 09:17に投稿されたエントリーのページです。

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