2009年06月20日

物理吸着(ぶつりきゅうちゃく, physisorption)とは

物理吸着(ぶつりきゅうちゃく, physisorption)とは、流体分子(吸着質)が固体表面(吸着剤)との間に働くファンデルワールス力によって固体表面に濃縮される現象をさし、吸着のうちの一分野にあたる。一般に、ファンデルワールス力は、イオン結合や共有結合等の相互作用と比較して格段に弱い相互作用であるため、物理吸着した分子は加熱・減圧等の操作によって容易に脱着する。

多孔質の存在する真空中にある流体分子を導入すると、多孔質外のバルクに流体分子があるときよりも多孔質の持つ細孔内に分子が進入したときの方が、細孔表面との間に働くファンデルワールス力の分だけ安定である。このバルクとの安定化エネルギーの差分を推進力に、細孔内に流体分子が濃縮されていく過程が物理吸着である。一般に、バルクの状態が低温で高圧のとき、つまり分子運動がおだやかで分子密度が高いときほど、吸着量は増加する。
テニス
セキュリティ
花火
仏教絵画
東北地方
壁画
日用品
セパタクロー
印刷
水球
アスペルガー症候群
学習塾
ベリーダンス
北陸地方
水彩画
恐竜
水墨画
両生類
ジオキャッシング
アニマルセラピー

吸着量と圧力、あるいは吸着量と温度は非線形的な関係にあることが多い。これは、細孔表面に吸着される初期段階の吸着に比べ、吸着質によって表面が被覆されて以降の吸着では細孔壁による安定化への寄与が大きく減少するためである。つまり、表面から遠い流体分子ほどバルク的な挙動を示す。

細孔内への吸着量はある温度と圧力の条件で急激に増加することが多く、それがバルクの気液相転移つまり凝縮と近しい条件であることから、近年では細孔内でも相転移が起こると考えられている。現在は、固体への相転移に拡張した、三態相図に関する研究が盛んである。

吸脱着が可逆であること、ミクロな現象がマクロな操作変数である圧力や温度で精密に制御されうること、これらの利点を工業的に利用すべく研究が進められている。主な利用法は分離と貯蔵、および触媒を担持した反応場としての利用に分けられ、多成分流体の分離や水素などの気体燃料の貯蔵を目的とした研究などが進められている。

2009年06月02日

弾丸重量による分類

小筒
弾丸重量が三匁半程度のものを指す。威力は低いが安価で反動が少ない為、猟銃や動員兵への支給銃として用いられた。また、防御力の薄い明・朝鮮の兵にはこれでも十分な威力を持っていた為、朝鮮の役では大量に用いられた。
中筒
弾丸重量が六匁程度のものを指す。小筒に比べて威力が増大した分扱いが難しい上に高価なので、臨時雇いでなく継続して主人に仕える足軽が用いる銃とされた。当世具足や竹束などの火縄銃に対応した防御装備が広まった結果、小筒に替わり主に用いられる様になった。
士筒(さむらいづつ)
弾丸重量が十匁程度のものを指す。威力は絶大だがあまりにも高価で扱いが難しい為、十分な鍛錬と財力を持つ侍のみが用いる事ができた。彼らはこの侍筒を武家奉公人に持たせ、必要に応じて用いた。
短筒
馬上筒とも言う。馬上での使用や護身用に用いられていたとされる。銃身が短く、片手で扱える。ヨーロッパの騎兵のピストルに近い。
大鉄砲
抱え大筒とも言う。二十匁以上の弾丸重量を有するもので百匁クラスのものも存在する。通常の弾丸の他、火矢などを用いて攻城戦・海戦で構造物を破壊する為に用いられた。差火点火式・地上設置型である通常の大筒と異なり、銃床とカラクリを用いた火縄銃の体裁を持つものを指す。言うまでもなく反動は強烈であり、射手は射撃時に自ら転がる事で反動を吸収する程である。そのため確実を期す場合は、地面に据えて擲弾筒のように撃ったり、射台に据えて用いた。
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製作地・流派による分類 [編集]
主な違いとして、銃身の外形(丸、角筒)、肉厚、長さ、銃床の形状、カラクリ(内外カラクリ)、目当などがあげられる。以下に記するもの以外にも多数あり。

国友筒
堺筒
日野筒
薩摩筒
以上、製作地名を冠したもの。

南蛮筒:海外より伝来した火縄銃を指す。それを手本に国内で製造されたものは異風筒と呼ばれる。
稲富筒:稲富流の仕様に基づいて製作された鉄砲。
関流筒:関流砲術参照。

デモンストレーション [編集]
日本各地に鉄砲隊と称しイベント時に火縄銃で空砲をうつ団体が多数できた。これは伝承砲術によっているものであるが、日本では幕末維新期に兵制・武器の西欧化が急速に行われたため、流派の直接伝承はすべていったん途絶えている。現存する流派は伝来した古文書などを解読して後世再興したものである。古式銃団体の性格は、

伝書などに準拠し純歴史学的に再興したもの(但し1、2の流派で明治以降も祭礼等で細々と伝承されたものもある)。
地域に伝わった鉄炮衆などの由来に基づき地域の特色ある武術の再現として研究されたもの。
それ以外のもの。
の3種が大まかに分類できる。

2009年04月30日

帝王韻記

高麗末期の李承休による『帝王韻記』には、桓雄の孫娘が薬を飲んで人間になって、檀樹神と婚姻して檀君が生まれたという。檀君は1028年後に隠退した。

『桓檀古記』はそれぞれ内容の異なる文書の集まりである。そのうち主な檀君朝鮮関連を挙げる。

「三聖記」上編:桓雄までは『三国遺事』とほぼ同じ。桓雄の子ではない神人王倹が檀の木の岡に降り阿斯達を都とし朝鮮と号した。檀君王倹である。妻は河伯の娘。朝鮮から大扶餘と号した。47代2096年まで続いた。
「三聖記」下編:桓雄は桓因ではなく安巴堅の庶子。桓雄の息子の檀君王倹は有帳という名で別伝では倍達王倹といった。その子は居佛理のち18代居佛まで続いた。
「檀君世紀」:桓因の子檀君王倹の子孫47代世古列加までの史書
「太白逸史」の「三韓管境本紀」:桓雄の子ではない神人王倹が国を三韓に分け辰韓を治めた。桓雄は阿斯達を国とし朝鮮と号した。神人王倹は馬韓を熊伯多、番韓を蚩尤男(蚩尤の末裔という)に治めさせた。
上古、朝鮮半島から満州・モンゴル・中国北部に至る広大な版図を誇った帝国「檀君朝鮮」があったと伝える17世紀に著された偽書。1972年に韓国国立中央図書館古書審議議員の李家源、孫寶基、任昌淳3人が珍本であることを確認する認証書を公表した。

平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出であり、元来は地名である。12世紀に成立した高麗の正史『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には人名として王倹という語が出てくるが、平壌にかつて住んでいた仙人の名前としてであって、檀君という王がいたことは全く書かれていない。

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檀君朝鮮は朝鮮民族と朝鮮国家の祖として、民族意識と愛国心向上のため、南北ともに教育に取り入れている。とりわけ朝鮮民主主義人民共和国では「朝鮮」の祖ということで熱心に教育し、実在の人物である可能性がほとんどないにもかかわらず、1993年に檀君の墓を発見したと公言(実は高句麗時代の古墳)し、その地に「檀君陵」なるコンクリート製の建造物を建設した。大韓民国の国定教科書でも「檀君の古朝鮮建国は、我が国の歴史が古いことを表している」などと書かれており、はっきりと「史実」という言葉をもちいて教えている。また徴兵制度で入隊した若者に対して行われる軍の愛国教育の中で、東アジアの広範囲を征服したという伝説を大きく取り上げている。また、『三国遺事』や『東國通鑑』(1485年)にある記述から計算して檀君の即位した年を紀元前2333年とし、これを元年とする檀君紀元(檀紀)を定め、1961年まで公的に西暦と併用していた。一部では現在も使用されている。


2009年04月15日

ジョアシャン・ミュラ

ジョアシャン・ミュラ(Joachim Murat-Jordy, 1767年3月25日 - 1815年10月13日)は、フランスの軍人・元帥。後にナポレオン・ボナパルトの義弟となり皇族として遇され、ナポリ王位に就いた(ジョアッキーノ1世 Gioacchino, 在位:1808年 - 1815年)。

仕官 [編集]
ジョアシャン・ミュラは、旅籠屋を営む傍らタレーラン家の不動産管理人でもあったピエール・ミュラの末っ子(12人兄弟だった)として生まれた。両親の希望で聖職者になるため神学校に入学するが(このとき後々まで親友となるベシェールと出会っている)、全く不向きで、1787年に女性と駆け落ちして放校された。無一文で放浪していた時にたまたま出くわした騎兵中隊に飛び入りで入隊したことから軍歴が始まり、2年ほどで軍曹にまで出世するが、一時帰郷して小間物屋を開く。風采が良く人気者だったため、郷里のジャコバン派としてかなり有名になったが、やがて軍に復帰し、浮沈を繰り返しつつ若手の騎兵指揮官として頭角を現していった。1792年には少尉になっているが、当時の士官選出は兵士の選挙によっていたので、このことはミュラが部隊でも人気者だったことを示している。

台頭 [編集]
1795年のヴァンデミエールの反乱において、パリ市内での大砲奪取任務の参加者を募集していたナポレオン・ボナパルト(当時ポール・バラスの副官だった)と出会い、任務に志願して見事成功させ、王党派の反乱鎮圧に貢献する。ナポレオンはこの功績で脚光を浴びることとなり、ミュラにとっても大きな転機となった。その後、ナポレオンのイタリア遠征に自ら志願して参加し、エジプト遠征では負傷するものの見事な働きを見せ、ナポレオンの側近として、また優秀な騎兵指揮官として名声を確立させた。1800年にはナポレオンの妹カロリーヌと結婚、名実共にナポレオン家の一員となる。1804年には元帥に昇進した。数々の戦いでその騎兵指揮官としての能力を存分に発揮し、ナポレオンをして「世界最高の騎兵」と賞賛せしめたが、高位の軍司令官としては判断力、決断力共に欠け、元帥昇進後あたりから失策が目立ち始める。

離反 [編集]
1806年にベルク大公となり、1808年にはスペイン王となったナポレオンの兄ジョゼフに代わってナポリ王位を与えられ、ジョアッキーノ1世を名乗った。しかし、こうした栄達は彼を保守的・退嬰的にした。また、権力欲が極めて強く、かつ頭が回って気も強い妻のカロリーヌに焚きつけられて、自らの王国を守ろうとする態度が露骨になると共に、ナポレオンとの関係もぎくしゃくし始めた。1812年、ロシア遠征に参加するが、これが大敗に終わると自らの地位保全のために敵国イギリスやオーストリアと勝手に交渉を始め、1814年に至り完全にフランスから離反する。

転落 [編集]
フランスからの離反の決断とともに、イタリア統一を夢想し始めるが、そんな野望が通る筈もなく、ウィーン会議では王位の剥奪が決定された。ミュラはひとたび裏切ったナポレオンの元に戻ることを決意し、イタリア方面での抑えを期待したナポレオンもそれを認めた。しかし、ナポレオンがエルバ島を脱出すると、独断でオーストリアと開戦して大敗し、フランスに逃げ戻った。激怒したナポレオンからは仕官を認められず、ワーテルローの戦いの後に僅かな手勢と共にナポリ奪回の兵を挙げて失敗、逮捕の後に処刑された。

人物像 [編集]
恐らく同時代に類を見ないほど優秀な騎兵指揮官であり、ナポレオンの戦いには欠かせない貴重な戦力だった。素晴らしい騎手にしてサーベルを扱わせれば天下無双、勇気肝力全く欠ける所が無く、どんな乱戦にも真っ先に飛び込み平然と生還する勇者でもあった。長身で威風堂々とし、甘いマスクと気の利いた弁舌を備えた大変な伊達男で、自らデザインした派手な軍服に身を包み戦場を疾駆するその姿は、敵味方問わず感嘆の的だった。

しかし彼の能力は完全にそこまでで、馬を降りれば優柔不断で軽薄で浅はかであり、大軍を指揮する能力も戦略眼も政治外交能力も無かった。ナポレオンはこう評している。

「彼は敵と対峙したときは世界でもっとも勇敢な男だろうが、会議の席にでも置こうものなら判断力も決断力もない腑抜けに成り下がってしまうだろう。」

「彼に授けられた尋常ならざる勇気は、その知性と非常に不釣り合いで、とても一人の人間の中に収まっているとは思えなかった。」

元帥同士の人間関係では、上述のベシェールとは親友同士の間柄であったが、ランヌやダヴーからは忌み嫌われていた。

自らを中世の騎士になぞらえ、そのサーベルには座右の銘「名誉と貴婦人の為に」を刻み、女性からの賛美の視線を何よりの喜びとした稀代の伊達男の最後は銃殺刑だったが、その折に彼は銃殺隊に「頭は撃つな、まっすぐ心臓を撃て」と命じている。しかし無情にも、数発の銃弾は自慢の美貌を傷つけてしまったという。フランス国王に復位したルイ18世がミュラの処刑を命じたのは、1804年に行われたアンギャン公処刑の復讐とも言われている。同僚のネイ元帥も銃殺刑にされている。

家族 [編集]
カロリーヌ・ボナパルトとの間に2男2女をもうけた。長男ナポレオン・アシルはアメリカに亡命し、ジョージ・ワシントンの姪と結婚して、フロリダで農園を経営している。次男ナポレオン・リュシアン・シャルルはイタリア統一戦争の際にはブルボン家に代わるナポリ国王の地位に推されたが、実現しなかった。

また、父方の従妹マリー・アントニエッテ・ミュラはホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯カールに嫁いでいる。2人の孫レオポルトはスペインの王位継承問題で国王候補に推され、普仏戦争の遠因となった。

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2009年03月31日

男女ノ川登三

女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう、1903年9月17日 - 1971年1月20日)は、大相撲の第34代横綱。茨城県筑波郡筑波町(現在のつくば市)出身。本名:坂田供次郎。読み方は「きょうじろう」と「ともじろう」の2説ある。現役時代の体格は191cm、146kg。
1924年1月場所で阿久津川を通して髙砂部屋から初土俵、四股名は男女ノ川供次郎。元々は屋根の修理屋で働いていたが、ある時修理中の屋根を踏み抜いてしまい、これがきっかけになっての入門だった。阿久津川が所属する富士ヶ根部屋に入る予定が関東大震災で部屋が消失したため一門の本家である高砂部屋に入門した。
チング ハムナ タッセル オセア おおやまと クーポ シカゴ バリケード フィロ スプリン スモーカー プロバ サーチドア シュメール スティバル あっぱれ シャコ マリッジ 回転計 モノレール トップア ラテン ブレキ ティブ ピナフ システ そうよう モビール ラテアー チャレン センター フライド ビアフラ フットウ ガニメデ ブルー 大根ダイ トフロント びえい ネック ひみつの扉 ジーパン ジェリ ゼソウ コスモス しだれ梅 ひのみ レッジ スリラ トラウ

1928年1月場所、新入幕。1929年5月場所には朝潮供次郎と改名する。彼を歴代朝潮に含めるかどうかは議論の分かれるところであるが、含むなら3代目である。当時彼と同じく大きい出羽ヶ嶽や、ともに“将来の大関、横綱”として並び称された武藏山との割は非常に人気があり、この割のために両国国技館が18年ぶりに満員札止めになったこともあった(1930年1月場所千秋楽)。

優勝同点も数回記録する順調な出世だが、大関を目前とした1931年5月場所を前に右膝関節炎を患い無念の休場、1932年1月の春秋園事件で脱退する。怒った髙砂は朝潮の名を剥奪、四股名は男女ノ川に戻った。元々この四股名“男女ノ川”は、百人一首でもおなじみ陽成天皇の「つくばねのみねよりおつるみなのがわ‥」からつけた四股名である。しかし「落ちてはいけない、上れ」といわれ四股名の下は本名の供次郎から登三と改めた。所属部屋も高砂部屋から阿久津川の興した佐渡ヶ嶽部屋へ移った。この四股名から当時男女川(だんじょがわ)と呼ばれることもあった。

1933年1月場所、平幕格で帰参。この時は別番付、いわゆる「別席」で地位が明記されていなかったため“無冠の帝王”といわれた場所で全勝優勝する。天竜一派の興行は力士を実力別にランク分けした上でのリーグ戦形式だった。ここで連日もまれたことが男女ノ川躍進の要因ともいわれている。翌場所小結、1934年1月場所には関脇で9勝2敗で2度目の優勝、大関になった。新大関では5勝6敗と負け越したが1936年5月場所で新横綱。しかしその後は関節炎の影響で強弱の差が激しく、また横綱時代は双葉山にはどうしても勝てなかった。 

1938年5月場所は千秋楽で武藏山と6勝6敗同士で対決、敗れて皆勤しての負け越しを記録した。また1941年5月場所で新入幕力士の双見山との対戦で敗れ、翌年(1942年)1月場所が最後の場所となった。

男女ノ川は帰参してからは「勝敗など無関係、1番強いのは儂だ」と言っていた。流石に双葉山が綱をとるとこれは言えなくなったが、今度は「双葉を強くしたのは儂だ」と言うようになった。確かに彼は若い頃の双葉山にとって重要な稽古相手だったことは否めない。

奇行でも知られ、ダットサンを運転して場所入りし燃料統制で運転できなくなると自転車で場所入りした。引退後は当時の一代年寄制度で年寄男女ノ川として理事にまでなったのに、突如廃業して選挙に出馬(第22回衆議院議員総選挙=落選)したりもした。早稲田大学の聴講生になったこともある。ジャガイモが大好物で、毎日一貫目(約3.75kg)を塩ゆでにしておやつにしていた。その減りには極めて敏感、箱一杯の中から一個なくなってもすぐに見抜いたといわれ、付き人をしていた東富士はよく「こらキン坊、ひとつ食っただろ」と怒られたという。

小手投げを得意としたが、その割に体全体で行わず手先だけで行っていたため、軽く負けてしまう事もあった。太刀山も助言しようとしていたが聞かなかった。ある時は太刀山のまねをして、稽古土俵の中に描いた1m程の丸から押し出したら賞金を出すことにしたが、すぐに財布が空になり中止した。男女ノ川の稽古不足を見かねたかつての大横綱が、稽古に気持を集中させる為に考案した自らのやり方を伝えた物である。

廃業後の数度の選挙出馬で金策にも困っていた。サラリーマンになったことがあったし、保険の外交員もやったり、なんと探偵になったこともあるが、身長191㎝の巨体ゆえ尾行もままならず廃業した。妻子に捨てられ脳卒中で倒れていたところを発見され、養老院に入ったことが新聞ダネになるなど不遇な晩年を過ごした。その際、記者が尋ねると「酒を飲む金もなくてね。」と零し、記者が一升瓶を差し出すと満面の笑みをみせた。あまりの境遇に相撲協会がカンパを募り金を援助した事さえある。(その金も選挙に立候補する資金を作ろうとして競艇で負け、手元には1円も残らなかった)双葉山が死去した際、国技館での葬儀に参列したが、杖をついてフラフラに歩き、つぎはぎの喪服で参列した大きな男女ノ川にみな哀れみを憶えた。最晩年は料亭「村山砦」で下足番をしていた。経営者がファンで、歩くのもままならない元横綱の為に一肌脱いだのである。

また、独特の顔立ちが特徴で、漫画『サザエさん』で名前が挙がったこともある。

成績 [編集]
幕内在位:35場所
(うち横綱12場所、大関4場所、関脇5場所、小結3場所、幕内格別席1場所。春秋園事件の際の1場所(1932年1月場所)を含まず。)
幕内通算成績:247勝136敗1分33休 勝率.645
横綱通算成績:87勝55敗22休 勝率.613
幕内最高優勝:2回 全勝1回
優勝同点4回(1929年3月場所・9月場所、1930年10月場所、1931年1月場所)
金星:2個(常ノ花、玉錦)
各段優勝:三段目1回(1926年1月場所)

2009年03月16日

清水寺

清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山と称する。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所である。
ナイフ ダイア レフト レター ブライ マル ドポト フットランプ テグス パーツ なんがい トーム かにた ナツメ スモン ピンクソーダ シソーラス ジッポ リキュール ジープニー インター レコー ブート スパン コマツナギ トップバ ジーンチ 炎神 オピエー かさだか うばゆり キャンセル モスキ メトロ フォーゼ クラウト キール ばんかん アンダ シンパ せいこ 鶏頭人気 スコッ パレード オーメン トイ人 テゴル ティコア コムタン ヤハウェ

清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地で、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。古都京都の文化財の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている。

清水寺の縁起にはさまざまな伝本があり、『今昔物語集』『扶桑略記』などにも清水寺草創伝承が載せられている。これらによれば、草創縁起は大略次のとおりである。

宝亀9年(778年)、大和国子島寺[1]の僧である延鎮(えんちん)が、夢のお告げで霊泉を訪ねてたどりついたのが、現在の清水寺の建つ音羽山であった。そこにはこの山に篭って数百年も修行を続けているという行叡居士(ぎょうえいこじ)という修行者(観音の化身ともいう)がいた。行叡は「自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。延鎮は、行叡が残していった霊木に観音像を刻み、行叡の旧庵に安置した。これが清水寺の始まりであるという。

その2年後の宝亀11年(780年)、鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂(758年‐811年)は、修行中の延鎮に出会った。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのであるが、延鎮より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。後に征夷大将軍となった田村麻呂は、観音の加護の賜物か、無事東国の蝦夷を平定し、都に帰ることができた。延暦17年(798年)、坂上田村麻呂は延鎮と協力して本堂を大規模に改築し、観音像の脇侍として地蔵菩薩と毘沙門天の像を造り、ともに祀った、という。

以上の話には、細かい点についての異伝もある。創建の年については宝亀11年(780年)でなく延暦17年(798年)とすることもあり、延鎮が最初に分け入ったのは木津川の上流の山で、平城京遷都に際して今の音羽山に移ったとする説もある。

延暦24年(805年)に坂上田村麻呂が寺地を賜り、弘仁元年(810年)、嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となったことは史実とされ、この頃に本格的な寺観が整ったようである。長らく興福寺の支配下にあった。

本堂をはじめとする伽藍はたびたび放火にあっており、現在の本堂は寛永10年(1633年)、徳川家光の寄進により再建されたものである。他の諸堂も多くはこの年に再建されている。

2009年03月01日

メガトロンを倒してオールスパークを手に入れようと

変形機種:ロッキード・マーティン・F-22ラプター (ステルス戦闘機)
メガトロンを倒してオールスパークを手に入れようと企む野心家。メガトロン不在の間、ディセプティコンのリーダーを務めていた。なお火星探査機を破壊する謎のトランスフォーマーの正体は、このスタースクリームである。
武装は両腕のバルカン及びミサイルランチャー。ビークルモードは当然ながらロボットモードでも飛行が可能な上に実物のF-22を凌駕する機動性を持ち、空中戦では無類の強さを誇る。
G1作品に登場したスタースクリームと今作の姿があまりにもかけ離れたデザインだったため、当初ファンからは非難や諦めの声が上がった。しかし劇中でメガトロンから叱責を受けるなどキャラクター性はまさにスタースクリームそのものであり、さらに縦横無尽な活躍も手伝って結局は快く受け入れられた。声を担当したアドラーもG1作品に出演しており、エアーボット部隊のリーダー・シルバーボルトを演じていた。また吹き替えを担当した宮澤も、『ビーストウォーズII 超生命体トランスフォーマー』にてオートスティンガー、シーラゴンを担当していた。
こかぶ オスト ギュラー バスドラ ツルム 愛秋豊柿 ダービー ニバル ブラジ カシューナ パトロン ミステ シール ロング サーチツナ サイトフエ ステイヤ トップギア オーベ ランチャ ガイア ダンベル プロボ ソフォク パンプス アパッチ フェリ 吉兆 チャーハン ナイトメアー ジンゼナ テーププ うるあわ サロペ タンゴ 風の神 ファレノ イメージ ポンポン キャタピ パッション シスアド チャイム アビレ スキトル チェンバ マントラ ターゲティ 銀色の舟 月のウサギ

ディセプティコンの輸送兵。本作に登場するトランスフォーマーではメガトロンに次ぐ体躯を誇り、味方の輸送も行う。メガトロンに対する忠誠心が最も厚く、それ故にスタースクリームとは反目している。
主な武装は両腕のプラズマキャノンやガトリングガン。特にプラズマキャノンは放射線状に拡散して広範囲を薙ぎ払うため、非常に強力。さらに発射こそされなかったが、胸部にもキャノン砲が格納されている。また格闘戦の際には手首にローターブレードを展開する。ただし装甲は脆弱であり、防御面は専らバリアー頼みである。
映画本編は彼がオールスパークの情報を奪取するためにカタール空軍基地を襲撃するところから始まり、驚愕の変形シークエンスと凄まじい火力で基地を殲滅する姿は観客に衝撃を与えた。この変形シーンでは、G1シリーズと同じ効果音が使用されている。
ブラックアウトが形成する3次元映像のパイロットは実際のペイブロウに搭乗する軍のパイロットであり、劇中にはこの他にも多数の職業軍人が脇役で参加している。
同名のキャラクターとしてはトランスフォーマー スーパーリンクに登場したコンバットロン部隊のボルター/Blackout(ヘリコプターに変形)が存在する。
スコルポノック(メガザラック)
ブラックアウトの体に共生している忠実な僕。蠍形のロボット生命体で、トランスフォーマーとは異なる存在。尻尾を除く胴体部の長さが2.6mと小型(ソニーマガジンズから発行されたムック本のデータより)で、動物程度の知能しか持たないが主人の命令には忠実に従う。一度命令を受ければブラックアウトの背中から射出され、執拗に獲物を追撃する。ロボットモードは玩具でのみ存在する。
武器は尾部のスピアと腕部のスピニングピンサー。また腕部にはミサイルランチャーやプラズマキャノンを内蔵しており、サイズの割に豊富な装備を持つ。地中に潜行することが可能で、この能力を利用した奇襲戦法を得意とする。この他、妨害電波を発生させる機能があるのか、劇中でA-10のレーダーが機能障害を起こす場面がある。
同名のキャラクターとしては、ザ☆ヘッドマスターズやビーストウォーズのキャラクター(いずれも蠍またはその姿を模した戦艦に変形)がいるが、今作ではビーストウォーズのスコルポス/Scorponokがモデルになっている。
デバステーター(デバスター)及びブロウル
変形機種:ジェネラル・ダイナミックス・M1エイブラムス(戦車)
ディセプティコンの火力戦闘要員。常に怒りの感情に満ちており、オートボットに砲弾を撃ち込むのが唯一の喜びである。当初はブロウルが正式名称だったが、映画公開直前に急遽デバステーターへと変更された。
武器の多さは随一で、確認できるだけでもタンクモードでは主砲、副砲、ロボットモードではミサイルランチャーに両腕のガトリングガン、さらに格闘用のクローを左腕に装備(玩具では両脚にも内蔵している)と、まさに全身武器といった様相である。タンクモードでは実際のM1エイブラムスには存在しない武装が取り付けられているが、これは自分よりエイブラムスが小さいことから、不完全なスキャニングとなったためであると考えられる。
同名のキャラクターとして、G1に登場したビルドロン合体兵士デバスターがいるが、性格や外見、玩具の名称から実際のモチーフになっているのはG1のコンバットロンのメンバーの一員であるブロウルと推測される。
ボーンクラッシャー
声:ジミー・ウッド
変形機種:フォースプロテクション・バッファロー (地雷除去車)
ディセプティコンの兵士。あらゆるものを憎み、オートボットは勿論、味方のディセプティコンですら憎悪の対象となっている。オプティマス・プライムに匹敵する巨体だが、ロボットモードでは脚部のタイヤを利用して、ローラースケートの様に素早く移動が可能。
パワーに物を言わせた格闘戦を得意とし、鋭い爪を持つ両腕と背中に生えたアームを合わせた三本の腕で攻めかかる。腕部は伸縮自在となっているが劇中では披露されず、設定画や玩具のみで確認できる。
G1作品に登場したビルドロンのメンバーに同名のキャラ(ブルドーザーに変形)がいるが共通点は少なく、今作のボーンクラッシャーは名前だけを借りた映画オリジナルキャラクターといえる。
バリケード
声:ジェス・ハーネル/日本語版:北川勝博
変形車種:サリーン・S281‐チューンド・マスタング(六代目)・パトカー
ディセプティコンの兵士。生来の嘘吐きであり、パトカーの姿に騙されて近寄ってきた人間の目前で変形し、驚愕している姿を見るのが何よりの喜び。それまではサイバトロンや他のヒーローロボットの定番変形モチーフ(正義の象徴)であった「パトカー」の姿をした悪役という皮肉めいたキャラであり、ある意味ではトランスフォーマーのテーマである「Robots in disguise」を体現した存在である。
武装はタイヤのホイールに無数の刃が付いたブレードホイール・アーム(玩具ではこの武器は付いておらず、代わりに左腕のスイッチを押すと腕が飛び出すギミックが付いている)。また、劇中と同じく胸部にフレンジーを収納している。
同名のキャラクターとしては、トランスフォーマーZのマイクロトランスフォーマーの一体(F1カーに変形)や、スーパーリンク版コンバットロンのメンバーであるオンスロート/Barricade(軍用トレーラーに変形)が存在する。また、当初はG1時代に登場していたサイバトロン戦士の一員で、パトカーに変形する「プロール」をもじって、「ブロウル」と名付けられる予定だったが、結局実現することは無かった。
ビークルモード時に後部側面に書かれている「To punish and enslave((罪人を)罰し服従させる)」という一文は、実際のアメリカの警察車両に書かれている標語である「To protect and serve((市民を)保護し奉仕する)」のパロディである。
フレンジー
声:レノ・ウィルソン
変身形態:GPX・2スピーカーのMP3対応ラジカセ→携帯電話
劇中のディセプティコンの中で最も小さな兵士(人間の子供ぐらいの体躯)だが、非常に高度な頭脳を持つ。陽気で陰険な性格であり、早口のサイバトロン語で会話する。人間を虫ケラ呼ばわりする程に見下しているが、サムの家の金魚に驚いたり、ダムから転落したりするなど、コミカルな場面も見せた。頭部にスパークを持つトランスフォーマーでもあり、非常時には口に相当する部分から虫の様な脚を展開して移動することが可能(元ネタは遊星からの物体X)。
主な役割は諜報活動だが、マシンガンやディスク状のカッターを装備している上機敏に動き回るため、人間が相手をするには十分に脅威。移動の際はバリケードの内部に格納され、共に行動する。
G1作品に登場するカセットロンの1人・フレンジーがモチーフになっており、大型ロボットの胸から出てくる設定もカセットロンを意識したもの。本来はそのカセットロンのリーダーであるサウンドウェーブを登場させる予定だったが、ファンが納得できる活躍が本作で実現不可能だったため、その代わりとして登場させたらしい。
なお、基本的にディセプティコンの目の色は赤だが、フレンジーのみ青となっている。

2009年02月10日

江戸詰めの藩士たちは安井彦右衛門や藤井又左衛門

江戸詰めの藩士たちは安井彦右衛門や藤井又左衛門など赤穂藩から逃亡した者を除いて、多くが吉良上野介義央を主君に代わって討つべしと主張するようになった。特に剣豪として江戸で名を馳せていた堀部安兵衛武庸(馬廻役200石)、高田又兵衛の子孫であり槍の達人の高田郡兵衛(馬廻役200石)、堀部の剣の同門である奥田孫太夫 (武具奉行。馬廻役150石)などが強硬に吉良上野介の首級をあげるべきと主張した、片岡源五右衛門、礒貝十郎左衛門、田中貞四郎ら浅野内匠頭の寵愛を受けた側近達も同様に仇討ちを主張した。しかし、腕を天下に披露したい武芸者の堀部らは吉良邸への討ち入りを主張したのに対し、主君への報恩第一の寵臣片岡らは行列襲撃してでも即時の吉良殺害を主張するなど意見が食い違い、ついには片岡らは江戸を飛び出して、3月27日(5月4日)に赤穂へ入って同志を募ろうとしたが、この頃、赤穂城では大石内蔵助のもと殉死切腹が主流であったため、片岡らの吉良を討つという主張は受け入れられず、赤穂も去っていった。以降は江戸へ戻って三人だけで独自に吉良上野介の首を狙うようになる。
タンカー ドル箱 フィクサー チョンチ 微熱 フッター バーム トレー オペラ ロジス トーナメ ヤーコン ファーマ ジェノサ オフコン プロパ ビジタ お祭り ゴング ギタリスト ゲスト ハンド 北風のキ ピラニア リボン パイル ハイブリ チュウ ハット ワイツ ムラサ 雨のタン ストーン スターチ テーブ シンシア セピア バーナー しもにた イソウ サーチスギ パラメ シルフィ リッツ そうま タイム オスロニク キーポイ シャイニ ばるべーら

赤穂城開城直前の4月14日(5月21日)には堀部安兵衛、高田郡兵衛、奥田孫太夫たちも赤穂へ入った。ただちに内蔵助はじめ重臣達に会見を申し込んで吉良上野介への仇討ちを主張したが、大石らからは「上野介へ仇討ちはするが、まず大学様のお家再興をしなければならない。時期を見よ」と諭され、赤穂開城を見届けたのち、5月12日(6月17日)には江戸へ帰っていった。しかし江戸へ帰った後も堀部達は吉良への仇討ち計画を進め、内蔵助に江戸下向を迫り続ける。

こうしたお家再興よりも吉良家への仇討ちを優先しようとする勢力は、江戸詰めの藩士たちに多かったため、彼らは江戸急進派と呼ばれた。

御家再興優先派と江戸急進派の軋轢

内蔵助像赤穂を離れた後の7月、内蔵助は山城国山科に隠棲する。ここは公家であり、大石と遠縁にあたる摂関近衛家の領地で、内蔵助親戚の同志進藤源四郎俊式の一族進藤刑部大輔長之(近衛家諸大夫)がこの土地を管理していた。

山科に居を移した直後の内蔵助は、吉良家への仇討ちより浅野家お家再興を優先した。小野寺十内秀和とともに美濃国大垣城へ赴いて戸田氏定に拝謁して浅野家再興を嘆願。また江戸で浅野家再興運動中の遠林寺住職祐海とも書状で連絡を取り合った。

この大石の動きに苛立つ堀部ら江戸急進派は、6月頃から内蔵助江戸下向を迫る書状を送りつけてくるようになったが、大石はひたすら大学のため隠忍自重するよう求める返書を書き続け、江戸下向を避けた。苛立つ堀部らは、とうとう8月19日付けの書状で「大学様も兄親の切腹を見ながらでは、100万石が下されても人前に立てないだろう」と述べるようになり、大石は江戸急進派鎮撫に使者の派遣の必要性を感じるようになったとされる。

9月下旬、内蔵助は原惣右衛門(300石足軽頭)、潮田又之丞(200石絵図奉行)、中村勘助(100石祐筆)らを江戸へ派遣、続いて進藤源四郎(400石足軽頭)と大高源五(20石5人扶持腰物方)も江戸に派遣した。しかし彼らは逆に堀部安兵衛に論破されて急進派になってしまったため、元禄14年(1701年)10月20日(11月19日)大石内蔵助が自身で江戸へ下向する。これは大石第一次東下りとも呼ばれる。

江戸三田(東京都港区三田)の前川忠大夫宅で堀部と会談し、浅野内匠頭の一周忌になる明年3月に決行を約束した。またこの際、かつて赤穂藩を追われた不破数右衛門が一党に加えてほしいと参じたため、大石は内匠頭の眠る泉岳寺へ参詣した際に主君の墓前で不破に浅野家への帰参と同志へ加えることの許可を与えた。この江戸下向の際に荒木政羽や内匠頭正室の瑤泉院とも会見している。江戸で一通りすべきことを終えた大石は、12月には京都へ戻った。帰京後から大石内蔵助の伏見撞木町(京都府京都市伏見区撞木町)などでの放蕩が激しくなったといわれる。

京 祇園社内蔵助の放蕩三昧については、落合勝信の著作といわれる「江赤見聞記」にあるが、真相は不明。堀部筆記のなかに内蔵助の放蕩について触れたものは確認されていないため、少なくとも江戸方の同志の耳には入っていなかったのではないかとして、放蕩を疑う説もある。 「江赤見聞記」は吉良家の遠縁にあたる伏見奉行建部政宇の目をくらますためとしている。

進藤源四郎と小山源五左衛門は、内蔵助の側にお軽という妾をおいているが、これは江戸急進派がこれ以上激昂しないように内蔵助の放蕩をおさえようとしたのだという。この女性がのちに「仮名手本忠臣蔵」の登場人物「おかる」に転じることになる。

吉良家屋敷替え
大石が御家再興運動や堀部らとの論争をしている頃、江戸幕府では吉良家に対して厳しい処分を下し始めていた。まず元禄14年8月19日(1701年9月21日)に吉良家の屋敷が江戸城のお膝元呉服橋から当時江戸の外れといわれていた本所(現東京都墨田区両国3丁目)の松平登之助の上ゲ屋敷に屋敷代えとなり、さらにその直後の8月21日(8月23日)には、庄田下総守(浅野を庭先で切腹させた大目付)、大友近江守義孝(吉良義央と親しくしていた高家仲間)、東条冬重(吉良義央の実弟)の三名を同時に呼び出して「勤めがよくない」などと咎めて役職を取り上げた。

この状況に吉良も高家肝入職への復帰を絶望視し、12月12日(1702年1月9日)には家督を養子左兵衛義周に譲って隠居してしまった。またさらに吉良上野介には実子として出羽国 米沢藩主上杉綱憲(15万石)がいたので、吉良が米沢城に移るという噂もたった。奥方富子も屋敷替えになった際に上杉家の実家に帰っていた。富子が新しい屋敷に同道せず上杉家へ戻った理由は諸説あり定かではない。離婚説、「浅野が腹を切ったのだから貴方も切ったらどうです」といったせいで不仲になった説、討ち入りを案じて吉良が帰した説、新しい屋敷がせまくて女中を連れていけなかった説などがある。

円山会議
年末からは脱盟者も出始め、同志の1人萱野三平は父の萱野七郎左衛門と浅野家への忠孝の間で苦悩して自害、橋本平左衛門も遊女はつと恋仲となり、忠義を捨てて彼女と心中してしまった。また江戸急進派の中心人物高田郡兵衛も旗本内田三郎右衛門との養子縁組騒動を機に脱盟した。高田の脱盟は江戸急進派の顔を失わせる結果となり、その発言力を弱めさせた。内蔵助はこれを好機として元禄15年(1702年)2月15日(3月13日)の山科と円山での会議において「大学様の処分が決まるまで決起しない」ことを決定する。

3月5日(4月1日)、吉田忠左衛門(200石加東郡郡代)と近松勘六(馬廻250石)がこの決定を江戸の同志達に伝えるべく下向した。吉田はまず江戸で孤立していた片岡源五右衛門ら内匠頭近臣組と面会すると説得して大石の盟約に加わらせている。そして3月8日(4月4日)に江戸急進派のリーダー格の堀部安兵衛と両国米沢町(現東京都中央区東日本橋2丁目)で会談に及んだ。しかし案の上安兵衛ら江戸急進派は決定に納得せず、内蔵助をはずして代わりに原惣右衛門を大将にして独自に決起することを模索しつつ、6月には内蔵助との最後の調整のため堀部安兵衛が自ら京都へ乗り込んでくることとなった。安兵衛は「もはや大石は不要」として内蔵助を斬り捨てるつもりだったとも言われる。しかしちょうどこの頃、遠林寺の祐海などを通じて内蔵助もお家再興が難しい情勢を知ったとされる。また7月18日(8月11日)には、実際に幕府が浅野大学長広に広島藩への永預かりを言い渡したことで、お家再興の望みは完全に絶たれる。内蔵助も以降は討ち入り一本と決め、安兵衛ら江戸急進派との対立はここに解消された。

7月28日(8月21日)、内蔵助は、堀部安兵衛も招いて京都円山で同志との会議を開き、本所吉良屋敷への討ち入りを決定した。

神文返し
堀部安兵衛は早速これを江戸急進派の同志達に伝えるべく江戸へ戻っていった。また大石内蔵助はお家再興だけを目当てに盟約を参加していた者がいるであろうことを鑑みて、大高源五と貝賀弥左衛門に同志を訪ねさせて義盟への誓紙を一度返却させ、盟約から抜ける機会を与えた。大高源五たちは誓紙の返還を拒んだ者だけに仇討ちの真意を伝えた。この行為は「神文返し」と呼ばれた。 この頃には江戸の同志や遅れて出した同志も足して130人を超えていたが、神文返しによってその数は60人以下になったとされている。

重臣のなかで脱盟したのは、奥野将監定良(組頭1000石)、進藤源四郎俊式(足軽頭400石)、小山源五左衛門良師(足軽頭300石)、河村伝兵衛(足軽頭400石)、佐々小左衛門(足軽頭200石)、多川九左衛門(持筒頭・足軽頭400石)、月岡治右衛門(歩行小姓頭300石)、岡本次郎左衛門重之(大阪留守居400石)、糟谷勘左衛門秀信(用人250石)など。

なかでも奥野将監は大石内蔵助をのぞけば浅野家中で最上の1000石取りの重臣で、また進藤源四郎と小山源五左衛門は、大石内蔵助の叔父にあたる者だった。御家再興運動では大石の参謀として働いた者たちだった。ある程度の脱盟は予想していた内蔵助もさすがにこの三人の脱盟は予想できず、その脱盟を非常に惜しんだという。

この時点で同盟に残った上方の同志たちは、残される家族の処置をしてから続々と江戸へ向かっていった。

この家族の処置にあたって特に苦難したとされるのは若年の同志矢頭右衛門七で、赤穂退去後、矢頭家は大阪に移住していたが、ここで父矢頭長助が病死してしまう。右衛門七は、母妹達をつれて母の実家がある奥州白河藩へ向かったが、荒井関所を女人手形不携行のため、通してもらえなかった。結局右衛門七は大阪の知人に母たちを預けて江戸へ下向している。

内蔵助は、盟約に加わることを望んだ嫡男大石主税良金だけを自分のもとに残して、妻りくや子供らは絶縁の上、豊岡の石束源五兵衛毎公のところへ帰している。特に連座が予想される次男の吉千代は仏門に入れている。そして9月19日(11月8日)、まず嫡男の大石主税を江戸へ下向させた。続いて10月7日(11月25日)には内蔵助自身も江戸へ出立する(第二次大石東下り)。第一次とは違い、今度こそ吉良を討つための下向であった。

討ち入りまで
道中の富士で内蔵助は曾我兄弟の墓を詣でたという。ドラマ等では、「日野家用人垣見五郎兵衛」と変名していた大石が、道中本物の垣見五郎兵衛と出会うといった演出がされたものもある。

10月23日(12月11日)には鎌倉へ到着。ここで吉田忠左衛門らが大石を出迎えた。さらに忠左衛門らが用意しておいた川崎平間村の軽部五兵衛宅の離れに滞在する。内蔵助はここから同志たちに今後の綱領「訓令十カ条」を発した。

11月5日(12月23日)に内蔵助の一行は江戸へ入る。江戸では日本橋石町三丁目(現東京都中央区日本橋本町)の宿屋小山屋弥兵衛店に滞在。公事訴訟のために滞在する垣見左内(大石主税)の後見人垣見五郎兵衛と名乗った。内蔵助や主税のほかには潮田又之丞、小野寺十内、近松勘六、大石瀬左衛門、早水藤左衛門、菅谷半之丞、三村次郎左衛門、内蔵助若党二人(加瀬村幸七、室井左六)、近松勘六の下男一人、計12名がここに滞在した。

他にも麹町、本所、両国、築地、芝、南八丁堀湊町、深川黒江町などに借宅や店を借りて同志たちが滞在した。

大石内蔵助は本所吉良屋敷を同志に探らせ、吉良邸絵図面を入手した。この絵図面入手経路について岡野金右衛門とお艶の逸話(後述)が生まれたが、寺坂の私記には「内縁をもって入手した」としている。この「内縁」とは、堀部弥兵衛の後妻の実家忠見氏は吉良邸の隣人である本多孫太郎長員(幕府から派遣される越前松平家家老(監視役))の家臣であることから忠見氏ともされている。また大石瀬左衛門の母方の叔父太田加兵衛が吉良家屋敷の前主松平登之助信望の家臣であることから、こちらとする説もある。

吉良上野介在邸確実の日を探る必要もあったため、しばしば吉良邸に招かれて、『源氏物語』や『伊勢物語』を進講したり、歌の指導をしていた国学者荷田春満が、大石の友人であったので春満を通じて吉良邸茶会が12月14日にあるという情報を入手。さらに春満の推挙をもらって大高源五(脇屋新兵衛)を茶人山田宗偏に弟子入りさせる。宗偏は本所に茶室を構えていたので吉良上野介から吉良家の茶会にしばしば招かれていた。そしてその宗偏からも吉良家の茶会が12月14日にあることを聞き出した。内蔵助は確かな情報と判断し、この日12月14日(1703年1月30日)を討ち入りの日と決定した。

11月29日(1703年1月16日)、大石内蔵助は、赤坂今井の三次藩下屋敷にいる浅野長矩正室瑤泉院の用人落合与左衛門勝信宛で赤穂藩藩金の使用明細書とその傍証資料を送っている。このことと第一次大石東下りの際に大石が瑤泉院に拝謁したことがヒントとなって討ち入り直前に大石が瑤泉院に拝謁し、今生の別れをするという「南部坂雪の別れ」の逸話(後述)が生まれたとされている。

12月2日、頼母子講を装って全同志が深川八幡茶屋に集まった。このときに討ち入り時の綱領「人々心覚」が定められ、その中で武器、装束、所持品、合言葉、吉良の首の処置など事細かに定め、さらに「吉良の首を取った者も庭の見張りの者も亡君の御奉公では同一。よって自分の役割に異議を唱えない」ことを定めた。

江戸潜伏中にも同志の脱盟があり、田中貞四郎(側用人150石。酒乱をおこして脱盟。)、小山田庄左衛門(100石。片岡源五右衛門から金を盗んで逃亡)、中村清右衛門(側用人100石。理由不明)鈴田十八(理由不明)、中田理平次(30石4李施。理由不明)、毛利小平太(大納戸役20石5人扶持。理由不明)、瀬尾孫左衛門(大石家家臣。理由不明)、矢野伊助(足軽5石2人扶持。理由不明)の8名が姿を消した。

最後まで残った同志の数は47人。

討ち入り
14日(30日)夜。『人々心得之覚書』によれば、47人の赤穂浪士は九つ(午後24時ごろ)の鐘によって行動を開始し、江戸市中3か所に集合して、本所吉良屋敷(現在の本所松坂町公園)へと向かった。実際に襲撃したのは現在の時刻で翌15日(31日)に入っての未明午前4時頃であったが、江戸時代の慣習では日の出の明け六つ鐘(1月31日では6時45分頃)を1日の区切りとしたので、当時の日付としては「14日の斬り込み」となる。この時に雪が降っていたというのは『仮名手本忠臣蔵』での脚色であり、実際は冷え込みが厳しかったが満月のほぼ快晴だったといわれている。

表門隊
表門隊の大将は大石内蔵助。その下に23士が属した。そのうち片岡源五右衛門高房(槍)、富森助右衛門正因(槍)、武林唯七隆重(槍)、奥田孫大夫重盛(太刀)、矢田五郎右衛門助武(槍)、勝田新左衛門武堯(槍)、吉田沢右衛門兼貞、岡島八十右衛門常樹、小野寺幸右衛門秀富の9士で吉良邸内へ突入している。

庭の見張りについたものは早水藤左衛門満堯(弓)、神崎与五郎則休(弓)、矢頭右衛門七教兼(槍)、大高源五忠雄(太刀)、近松勘六行重、間重次郎光興(槍)の6士。

新門の見張りについた者は、堀部弥兵衛金丸(槍)、村松喜兵衛秀直(槍)、岡野金右衛門包秀(槍)、横川勘平宗利(槍)、貝賀弥左衛門友信の5士。

そして表門には大石内蔵助(槍)、原惣右衛門元辰(槍)、間瀬久大夫正明(半弓)という参謀格の3士が陣取り、表門隊の指揮をとった。

裏門隊
裏門隊の大将は大石内蔵助の嫡男大石主税。実質的な指揮者は吉田忠左衛門。その下に24士が属した。そのうち堀部安兵衛武庸(太刀)、礒貝十郎左衛門正久(槍)、倉橋伝助武幸、杉野十平次次房、赤埴源蔵重賢、三村次郎左衛門包常、菅谷半之丞政利、大石瀬左衛門信清(槍)、村松三大夫高直(槍)、寺坂吉右衛門信行の10士が吉良邸内へと突入した。

庭内の見張りは大石主税良金(槍)、潮田又之丞高教、中村勘助正辰(槍)、奥田貞右衛門行高(太刀)、間瀬孫九郎正辰(槍)、千馬三郎兵衛光忠(半弓)、茅野和助常成(弓)、間新六光風(弓)、木村岡右衛門貞行(槍)、不破数右衛門正種(槍)、前原伊助宗房(槍)の11士。

裏門には吉田忠左衛門兼亮(槍)、小野寺十内秀和(槍)、間喜兵衛光延(槍)が陣取り、裏門隊の指揮をとった。

2009年01月24日

防衛組のメンバーが篠田先生


ストレッ ハダール ハルジ ハーネス みずあ カトレヤ まぐわ 夏の月 ガイド 紫色カリフ ティング インディオ ショーアップ プルデン ソイビーン ソリスト レール アモチ コピー 繊細 スケジュー ダンボ 手まりか テルル 白いブランコ メデリン スターチス なめねこ ロット ピクノジェ ミラー 幸せの色 オドメー パンパス パイプ 5匹の子 はなびし ムーム レプチン スペンス チャリヤ ウルトラ ライン ハンドボ ツインベッド わにがわ スロット ドルユーザ トリオット チーズ
オウボウダー
声 - 星野充昭
夏休みなのに授業をさせられた防衛組のメンバーが篠田先生を迷惑がった事から生まれた邪悪獣。その為、幼生時は篠田先生と瓜二つ。目の下のクマが主な相違点で、「ウルサ〜イ」と鳴く。ジャークパワー照射直後は単に巨大化しただけに見えたが、割れた中から黒板やチョーク等が合体したような姿を現す。腕のチョークで顔の黒板を擦り、耳障りな音を発する。足の黒板消しから繰り出す蹴りは、一見するとチョークの粉に見える有毒ガスを放出する。『ブレイブサーガ 新章 アスタリア』にも登場。
タコボンブ
声 - 亀井三郎
花火の後始末をしなかった若者を注意した事で生まれた、花火邪悪獣。目の前にタコの絵が描かれたサーフボードがあったため、タコのような形状になった。鳴き声は「ウ〜ミヲヨゴ〜ス」或いは「ヨゴ〜ス」で、浜辺の花火を食い荒らし、成長後は花火大会を襲おうとした。成長後の形状は、足の生えたヘルメットのような形状。攻撃手段には、食べた花火を使用する。
ゴウトロン
声 - 島香裕
銀行強盗のニュースを聞いた主婦の会話がきっかけで生まれた、銀行強盗邪悪獣。幼生態は手提げ金庫、ジャークパワー照射後は据え置き型金庫の形をしており、ドリルの腕とマイナスドライバーの足を持つ。鳴き声は「カネダセ〜」で、銀行から奪った現金を食べて巨大化トランクと大型金庫が合体した蜘蛛のような姿に変身する。分け前に与ろうとした件の銀行強盗を仲間に加え、強盗を繰り返した。ダイヤルを合わせて金庫を開けられる事が弱点。
ジャークライジンオー
タイダーが拾った邪悪獣化前のアークダーマでベルゼブが作った、ライジンオーに良く似た(でも顔は怖い)姿の邪悪獣で、倉庫からお菓子を奪い、破壊活動をしてライジンオーに嫌疑をかけた。口から火炎攻撃が出来るのが、唯一本物と違う能力。見た目の違いは色が暗くなっている点と腕部の鳳王の爪が無い点、一部パーツが鋭利になっている点胸部と頭部のクリスタルの色が逆になっている点『スーパーロボット大戦GC』にも登場しており、終盤ではゲームオリジナルの敵勢力「ガディソード」によって複製された。また、『新世紀勇者大戦』にも登場しており同作ではさらにこの邪悪獣をヒントにしたと思われるレイゼルバー、ジェイデッカー、ファイヤーダグオン、マイトガイン(ルートしだいでマイトカイザー)、そして同作登場の敵幹部機の1つモデュースのコピー邪悪獣が登場する。
ボーソウル
声 - 塩屋浩三
仁とその母の「暴走族は迷惑」の一言で発生したバイク型邪悪獣。鳴き声は「バリバリ〜」。幼生態は一輪バイクで、両脇にマフラーが生えている。ジャークパワー照射後は、タイヤが左右一対になる。その速さを活かしてライジンオーの合体阻止に成功するも、バクリューオーの出現により負けてしまう。
イカルダー
声 - 安西正弘
夫と子供を注意していた主婦が蜘蛛を見てヒステリーを起こした事で生まれた邪悪獣。成長前は小さなアークダーマーに細い手足が付いた形状で、取り憑いた相手を怒らせる能力を持ち、マリアや姫木先生も怒り狂った。成長後は、手首(ヒステリックな女性を連想させる、紅く鋭い爪を持つ)と蜘蛛が合体したような姿で「オンドリャ〜」と鳴き、特殊合金製の糸を吐いて相手に絡みつかせ動きを封じる。初めてゴッドライジンオーに倒された敵であるため『スーパーロボット大戦GC』にも登場する。
ノラネゴン
声 - 高宮俊介
猫の鳴き声を迷惑がった事で出現した、猫のような姿の邪悪獣。幼生態は頭から直接足が生えた姿で、動物を操り盾にした。ヒゲを切られると、動物を操る能力がなくなる。ジャークパワー照射後は頭に猫が入ったバケツを乗せた猫の姿になる。腐食ガスを吐き、舌や尾(魚の骨を模している)で相手の動きを封じる。弱点は髭を切られる事。
タイフーン
声 - 郷里大輔
逃亡に失敗した金塊強奪犯の「台風は迷惑」という発言に登場した台風邪悪獣。幼生態は雲が形作った不定形体で、「タイフ〜」と鳴く。台風なだけに、弱点は目らしい。成長後は巨大なファン状の姿になった。竜巻による攻撃でライジンオーを苦しめたが、自然エネルギーを取り込む能力を持つバクリュウオーには無駄だった。
ライフラー
声 - 郷里大輔
アフリカ在住のレオニと動物保護官をしているその父の会話で発生した密猟邪悪獣。成長前は掃除機、成長後は掃除機にライフル状の手が付いた姿。「ライフラ〜」と鳴き、野生動物を大量に吸い込んだ。両腕の銃口から射出した網で、相手の動きを封じたり野生動物を捕まえたりする。ライジンオーのパイロット3人がアフリカに出張したが、ライジンオーごと高圧電流の流れる檻に閉じ込められてしまう。
ユラース
声 - 西尾徳
マンション建設の為の基礎工事による振動を「地震みたいで迷惑」と言う主婦の発言を受け、建設現場の杭打ち機を取り込んだ地震邪悪獣。避難訓練中に発生した本当の地震をあきらが本気で怖がり、「邪悪獣が出たと思った」と言い訳をした直後の事だった。ジャークパワー照射後は、手足の生えた巨大な鉄球の姿をし、鉄球下部はハンマーになっている。地面を揺らすので「ユラース」で、鳴き声も「ユラ〜ス」。
ダルマンダー
声 - 島香裕
運動会のダルマ競争でひでのりとペアを組む事になったきららが、練習が上手くいかないのに苛立ってダルマに八つ当たりした事で生まれた、その名の通りダルマの邪悪獣。「ダル〜マ」と鳴く。頭突きをした物をダルマに変化させるだけの能力だが、ダルマ化した街中の物に紛れ込み、その発見に手間取った。警官に捕まりそうになると、今度は運動会で使うダルマに紛れ込んだ。ジャークパワー照射により、だるま落とし用の木槌の腕が生えた姿になり、地球をダルマ化しようとした。
スーパー邪悪獣
スイガラー
声 - 飯塚昭三
チンピラが投げ捨てた吸殻がきっかけで生まれた、タバコ邪悪獣。幼生体はタバコを咥えた唇で、「イップ〜ク」と鳴き、吸殻を捨てる時の鳴き声は「ポイ」。吹き出す吸殻はミサイルでもあり、タバコの箱が弾倉の役目を果たしている。その煙は有毒ガスである。ゴッドライジンオーに対抗するためジャークサタンと初めて「超次元融合」し「スーパー邪悪獣」へと強化を遂げた。超次元融合後は、灰皿のような外観をしており、煙の輪で相手の動きを封じる事が出来る。新しい武器「ゴッドライジンソード」で倒された最初の邪悪獣であり、『スーパーロボット大戦GC』で唯一のスーパー邪悪獣でもある。
ベジベジ
声 - 小宮和枝
野菜の邪悪獣。野菜嫌いのルリ子(ゆうの妹)の一声で発生。幼生体は、ニンジンの手足の生えたピーマンの姿をした邪悪獣らしからぬ可愛らしい姿の本体と、一つ目のニンジン数対に分離する。鳴き声は「ベジベジ〜」。ルリ子は、ニンジンゼリーを食べてくれた本体を妖精だと思い込んだが、街中の野菜を食い荒らし給食は中止になった。超次元融合後は顔が怖くなり、更にナスやシイタケ等も構成要素として加わる。飛ばした豆から生えた蔓で相手の動きを封じたり、蔓の先のピーマンを分銅鎖代わりに攻撃する。
テレノドン
声 - 島香裕
ヨッパーの家でのチャンネル争いに辟易したヨッパーのママの一言で、ヨッパーの家のテレビを取り込んだ邪悪獣。アンテナの腕でリモコンを持っており、上にもパラボラアンテナが乗っている。鳴き声は「シチョ〜リツ」。TVで偽情報を流す能力があり、テレビ局を乗っ取って偽の報道番組(キャスターはタイダー)でライジンオーやバクリュウオーを見当違いな場所へ呼び出した。情報操作を見破られると、ライジンオーをテレビの中に取り込んで、番組の中でジャークサタンとの戦いを強いる。バクリュウオーにリモコンを奪われて、ライジンオーに脱出されてしまうと、超次元融合によりモニタやパラボラアンテナ、電源プラグで構成された恐竜のような姿になった。
バケヤシキン
声 - 京田尚子
町内にあるお化け屋敷を気味悪がった子供の一言で生まれた邪悪獣で、ユラースと同じく物を取り込む形で邪悪獣化した。外観は元々の屋敷そのままだが、家の中の様々な物を自在に動かし、「イエ〜」と鳴く。タイダーをもてなす一方で、探検に訪れた仁達を驚かせ、吼児と勉を閉じ込めた。超次元融合により屋敷に手足が生えた姿になったが、2人にガス爆発を起こされ脱出された。結局は家なので、弱点は柱。
オドール
声 - 玄田哲章
祭の準備による交通規制に辟易したトラックの運転手の一言から生まれた、お祭り邪悪獣。成長前は太鼓、超次元融合後は法被を着た提灯、鳴き声は「オドラニャソンソン」。スピーカーから出す音波で人を踊らせる事ができ、ライジンオーを踊らせて戦闘不能にした。背中の電源コードを抜かれると、人を踊らせる能力が無効化される。
サムイドン
声 - 郷里大輔
悪天候で予定していたスキーが中止になった飛鳥が、仁と口論した挙句に吹雪を迷惑がった事から生まれた邪悪獣。成長前は雪だるまの頭部、超次元融合後は冷蔵庫の姿をしており、吹雪を起こしたり、出入口のないかまくら(というよりイグルー)に人を閉じ込めたり、氷柱を飛ばす等の攻撃をする。アツイドンの逆。
デンキー
声 - 塩屋浩三
停電がキッカケで生まれた、電気邪悪獣。成長前は電球で円形の蛍光灯が頭上に浮いている。超次元融合後は電柱の姿をしている。発電所を襲い、町中の電気を吸い取った。
オセッカイザー
声 - 山口健
ときえのお節介が原因でおもちゃを壊された子供の「お節介な正義の味方なんて迷惑だ〜!」の一言から発生。タイダーの前で「正義の味方! オセッカイザー!」と叫び顔面蒼白にさせた。鳴き声(?)は「ハ〜ッハッハッハ! オセッカイザー!!」。青いタイツと赤いマントに黄色いパンツという正義のヒーロー然とした出で立ちで、一応人助けらしきものをしていたのだが、被害を拡げるばかりで、実際にやっている事ははた迷惑そのものであった。それでもそんなオセッカイザーの事を放っておけなかったときえであったが……。その後巨大化してライジンオーとポージング対決、腕相撲などの勝負を繰り広げた。最後は崩れるビルを支えてビル内に残された人の命を救い、真の「正義の味方」となって炎の中に消えていった。
ファンの間では非常に人気のある邪悪獣で、ときえが歌うテーマ曲までも作られた上、その後刊行されたムックに掲載された小説で、正義のヒーローとして防衛組を助けに参上したところを見ると、今日もどこかでお節介な正義のヒーローとして頑張っているのだろう。
ラクガキング
声 - 塩屋浩三
下級生達の落書きに便乗した仁達を注意した校長の一言で生まれた邪悪獣。成長前は鉛筆、超次元融合後はレンガを組んだ姿をしている。落書きを実体化させる能力を持ち、実体化された落書きは切り刻もうが燃やそうが再生してしまう。元になった落書きを消すと、実体化した落書きも消える。なお、このスーパー邪悪獣は放送時『てれびくん』で行われた邪悪獣デザインコンテストの最優秀作品が元になっている(クレジットには受賞者2人の名前が挙がっている。佐藤統一君の作品が変身前、かわだこうじ君の作品が変身後の原案とそれぞれなっている)。
サタンJr
ライジンオーの基地を探るために現れたジャークサタンを見た野次馬の一言で生まれた邪悪獣。確かに迷惑である。コックピットもジャークサタンと瓜二つでタイダーが乗り込んだ。唯一の違いは目が左右反対である点。森という見通しの悪い環境を活かし、地球防衛組を撹乱したが、タイダーの余計な攻撃で作戦がばれてしまう。結局、超次元融合する事はなかった。
ガンターン
声 - 二又一成
デパートの警備員の一言が原因で生まれた、正月邪悪獣。成長前は和傘を持った鏡餅、超次元融合後は門松の腕と筆の脚が生えた羽子板。最初は太神楽の傘の芸を披露するだけだったが、いざとなると傘の上で相手を回したり、傘に仕込まれたガトリング砲で攻撃する。超次元融合後は、羽根突きの羽根型の誘導ミサイルも使う。
スベール
声 - 巻島直樹
スケートを上手く滑れないヨッパーが周りの迷惑にならないよう注意した仁の一言で生まれた、スケートをモチーフにした邪悪獣で幼生体はスケート靴、スーパー化後はアイスホッケーの選手の姿になる。散々辛酸を舐めさせられ続けて来たライジンオーを操縦しているのが子供達と知ったベルゼブの怒りが爆発、超次元融合後は今まで以上のパワーを発揮してゴッドライジンオーを苦しめた上に、ハイパーサンダークラッシュの重力波から自力で脱出しゴッド・ライジンソードの剣撃を受け止めたが、スケート靴のブレードを破壊されバランスがとれなくなってしまい、二度目の重力波からは脱出できなかった。
ゴキブロン
声 - 大塚芳忠
ゴキブリ嫌いのクッキーの一言から生まれた、ゴキブリ邪悪獣。ライジンオーの基地を探ろうとしたタイダーに吼児とクッキーが誘拐され、獣王とバクリュウオーの出撃が遅れた事で、苦戦を強いられた。超次元融合後は、ゴキブリ捕獲器型になる。

2009年01月17日

パントリア大陸

パステル達が活動拠点にしている大陸。大半をロンザ国が支配していて、政情も安定している。ロンザ国やサラディー国が存在する。

シルバーリーブ
パステル達が拠点にしている小さな村。この村の安宿「みすず旅館」での借金を返そうとする事からこの物語は始まる。
エベリン
かなり大きな、ズルマカラン砂漠の中心にあるオアシス都市。マリーナはここで古着屋を営んでいる。冒険者支援グループがあり、パステル達はカードの更新時はもっぱらこちらを利用する。
ヒールニント
温泉が湧き出し、それを観光の一つとしている村。しかし10年に一度目覚める竜が求める生贄に悩んでいるが、それを聞いて退治に向かった冒険者は、何故か必ず逆に村に災いをもたらす存在となり村を襲うようになった為、パステル達が訪れた際は牢屋に閉じ込めた程だった。
しかし彼らの活躍により村は救われた事により、後に冒険者支援グループに加入する。
サラディー
ズルマカラン砂漠より北に存在する小さく貧しい国。しかし国王は気さくで国民に慕われているが、魔女・マラヴォアに妬まれてオウムにされた事もある。この国で作られた記念切手はマニアの間では高値で取引されている。
町外れにペンダーグラスが住んでいる。
忘れられた村
かつてブラックドラゴンによって生贄を要求され、それから逃れる為に密かに地下に建設された村。偶然そこに訪れた者達にその村を忘れてもらうため「忘れられたスープ」が保存されていた。
後にブラックドラゴンに対する誤解が解け、地上で普通に生活ができるようになった彼らはその村をそのまま保存、「忘却の村」として観光名所として公開している。
サバド
村の外れにある日突然城が出現し、そこを目当てに冒険者が訪れるようになった竹細工で有名な町。ある職人はクレイの竹アーマーを珍しいと見つめていた。
セロジネ ソラサ よどがわ リンネル マント チクング コスパ バックル マグニチ シンメト パトロール ナイト こだわ ブラック きえい イコライザ チューバ ミディサ ミオシン アケビ レッド 満龍 銀龍日本 ナイト シグマ ケマンソウ トハート スライダー セレシン おとずれ セーフ クサギ ナイト もろきゅ ローブ ナント テレマー デュー トロート ルシフ すげがさ ネオダマ 缶けり ドラム 山もみじ ドロップ プレス ニコラ トップ ハウンド

トント
ザマ湖の近くにあり、毎月10・20・30日に市が開かれる。10(とう)が訛って町の名前になったが、市がない日以外は人が殆どいない。
タル・リコ
「復活の儀式」を目当てでやってくる人達の財布で成り立っているような町。遺体を保存する倉庫等の店もある。
大魔術教団の村
赤い石をはめ込まれた木像を崇拝する宗教の村。後に宗教団体は解散し、エンチラーダ村と名前が変わる。
ノルの妹メルが住んでいる。
ストーンリバー
港町。ここからパステル達は船旅に出た。
エドニー
大陸の左端にある町。セラファム大陸へ渡ろうとするならば、ここが最短距離。
ガイナ
パステルの故郷。彼女の両親が移り住んだ頃にはあまり開けていなかったが、彼女が成長するに従い段々と発達していった。しかしパステルが15歳の夏、モンスター・チャグデスに襲われ町は壊滅状態となる。幸いにもパステル等子供達は学校のサマーキャンプで不在だった為、子供達だけは無事だったがその殆どが孤児となる。
町を運営しているのは町議会。
ドーマ
クレイとトラップの故郷。町を運営しているのは一応町議会だが、貴族がいる為財政面でそちらに依存する割合が高い。
リーザ
シルバーリーブより南にある王国。首都はリーザリオン。アンジェリカ姫の父が国王でサイ湖がある。

セラファム大陸
パントリア大陸のとはアビス海を挟んで隣同士。パントリア大陸の大部分はロンザ国が治め治安も安定しているが、こちらは昔から大国が存在しない事もあって戦争が絶えない。 コーベニアやキスキン王国がある。

コーベニア
エベリンとは姉妹都市の関係にある。エベリンは砂漠の都市、こちらは港町という関係上こちらの方が栄えている感がある。デイビーはここでアイスクリームの屋台を開いている。
キスキン
国王が治める小さな国。前国王死去に伴いちょっとした後継者問題が起こった。現国王・ミモザ女王はパステルによく似ている。
ペルメナ村
キットンの妻・スグリが住んでいる。